韓国映画「お嬢さん」の作品情報・あらすじ・感想

今週は、ディズニープラスに入ったからには絶対に観ておきたかった「SHOGUN 将軍」を見てたよ~。

ストーリーとキャストの素晴らしさは勿論、とんでもない莫大なお金をかけて、当時の日本の緻密に再現している貴重映像でもあるので、日本人なら見ておいて損はないハズ。というか見ないと損かも~!?

どハマリした私は、鞠子さまの喋り方「~でございまする」を真似して、家族から若干ウザがられています…

と、前置きが長くなりましたが、今日は、2016年のキム・テリ出演映画の感想です。

目次

作品情報

  • 邦題:お嬢さん
  • 原題:아가씨
  • 英題:Agassi/The Handmaiden
  • 公開:2016年
  • 上映時間:145分
  • 日本国内配信:Amazon prime video・Hulu(2025.1現在)
韓流バナー

予告編

あらすじ

1939年の朝鮮半島。
詐欺グループに育てられたスッキ(キム・テリ)は、藤原伯爵と名乗る詐欺師(ハ・ジョンウ)の手先となり、莫大な財産を持つ貴族の令嬢・秀子(キム・ミニ)のメイドとして働くとになる。

メイドとして、秀子と藤原との結婚を後押しすること、それがスッキに与えられた役目だったが、純真で世間知らずな秀子に仕えるうちに、スッキにはある感情が芽生え始める…

サラ・ウォーターズの小説「荊の城」を原案に描かれる、愛憎と欲望が渦巻くサスペンススリラーです。

評価(momoruruが勝手に採点♪)

momoruru

総合評価 88点

新人女優キム・テリを一躍有名にした巨匠パク・チャヌク監督の映画。
芸術性とエロくてグロイ描写が混在する特徴的な映像に魅了されるものの、一部の登場人物の変態性が強すぎて生理的に無理だったのと、日本語が聞き取れなかったのが残念ポイント…

感想

女優キム・テリの出発点

ジョンニョン:スター誕生」でのキム・テリの演技に圧倒されて、彼女にとっての出発点ともいえる映画「お嬢さん」を見てみることに。

キム・テリってイマドキの俳優さんには珍しく大学で演技を専攻していないんだけど(アナウンサー志望で新聞放送学科専攻だそう)、大学のサークルで演劇を始めて、卒業後は舞台や短編映画で経験を積み、この映画のオーディションで1500倍の選考を勝ち抜いて主演の座を手にした猛者なのだ!

そして、この映画の監督は「オールド・ボーイ」や「親切なクムジャさん」「渇き」「別れる決心」で知られるパク・チャヌク監督。カンヌ授賞歴が多く、ポン・ジュノ監督とならぶ韓国映画界の巨匠と称されるお方。

「オールド・ボーイ」ではクエンティン・タランティーノ監督から絶賛されたことでも有名で、暴力性と性描写の巧妙さや、芸術的な映像に定評のある監督です。

映画の舞台となるのは日本統治下の朝鮮。朝鮮で暮らす日本人貴族の娘、秀子をめぐり、彼女の持つ莫大な遺産を狙う男女たちの欲望渦巻くサイコスリラー。

2016年制作の映画なんだけど、キム・テリはこの作品で、秀子を騙すためにメイドとして潜入することになった詐欺師スッキを演じて、この年の数々の新人女優賞を獲得。映画自体も第53回百想芸術大賞を受賞したほか、様々な映画祭で受賞やノミネートを果たした話題作なの。

ただし、激しい性描写がとーっても多いので、リビングで家族と見ちゃダメなやつだから注意してねw

変態性が強すぎる…

映画は、第1部、第2部、第3部の3部構成になっていて、第1部はスッキの企み、第2部は秀子と藤原伯爵の企み、第3部ではスッキと秀子の企みと、様々な角度から同じ時系列を辿っていく構成。登場物たちの変貌ぶりに驚かされるだけじゃなく、視点が違うだけで行動の意味合いまで変わってしまうという衝撃の演出が続くよ。

この視点の違いは、撮影しているカメラの角度の違いにも表現されていて、あちらの角度では見えなかったものが、こちらの角度からは見えているという、ストーリーの持つ多面性にヒヤリとするし、逆に思わずクスっとしてしまう場面も。

momoruru

この続きはネタバレありますのでご注意を~

つい食い入るように見入ってしまった第1部。

秀子を騙すはずの詐欺師スッキ(珠子)の心境変化に、想像以上に説得力があったのは、スッキを突き動かしていくお嬢さまの、退屈げで薫り立つような言葉と視線が魅力的だったから。調度品や衣装を効果的に使った映像が美しかった。上月の超豪邸はセットかと思いきや、日本の桑名市にある「六華園」(https://www.rokkaen.com/)なんかを使用しているんだとか。

しかし私の中では第1部がこの映画のピークだったかも。第2部だけは個人的には興覚めだった。

秀子がとても疲れると話していた朗読会が、おじさんたちのエロ本鑑賞会だったことが分かり、そして朗読会のシーンでもパク・チャヌク監督得意の芸術性の高い映像や笑いが映し込まれていくんだけど…私はどうしても、秀子の話に静かに興奮するおじさんたちの感情に寄り添えなくて…。なんというか、変態性が強すぎるのよ~。

アクの強い描写を挟むことによって、秀子の野心もリアリティを増していくんだろうけど、映像の芸術性はともかく、スーツ姿で卑猥な遊びに興じるおじさんたちは生理的に無理だったかも。

さらに第2部で気になったのは、日本語のセリフが聞き取れなかったこと。私の視聴環境では韓国語のセリフにしか日本語字幕が出せなかったので大苦戦。何度か聞き直したけど、あまりに長いので途中から諦めちゃったよ…。

ただ設定としては、日本人がおかしな日本語を喋っているのではなく、朝鮮人もしくは日本に帰化した元朝鮮人が日本語を喋る場面ではあるので、日本語の不自然さは許容範囲とは思うんだけどね(秀子は純日本人だけど、5歳から朝鮮で暮らしてるのでまあ…)。

それにしたって聞き取れないシーンが多すぎるのはストーリーにとって致命的だったかも。

第3部にして、更なるどんでん返しの末に、スッキと秀子は愛の逃避行に成功。エロに翻弄された男たちは地下で水銀を吸って死に、広大で自由な海の上で女たちは体を重ねて愛を交わす…というエンディング。

そうそう、今からパンティをやぶりますと宣言する藤原伯爵には呆れて失笑したし、無理やりされて喜ぶ女なんていないっていうシーンは痛快だったな。

ふいに訪れるリアリティ

考えてみれば、この映画に出て来る登場人物は悪人ばかり。人身売買に詐欺、支配、略奪…そこには汚れていないものなんてなかったような。

全ての動機は歪んでいるし、彼らの目的も行動も性癖も暴力性も、どれを取っても決して美しいものとは言い難い。

仮にスッキと秀子の間にあるものが純愛であったとしても、その愛情などいつ消えてもおかしくはない程度のもので、事実、彼女たちの愛は崇高なものとして描かれていたわけではなかったはず。

悪人たち、つまりは一般社会では共感しがたいとされる人たちが、共感しがたいことを行っていくストーリーなわけで、これは見ている我々にとってリアリティのある話じゃない。芸術性のある映像の中で、エログロが強調されていることも、ある意味ファンタジックさを増す演出だった。

それなのに、それぞれの登場人物がわずかに見せる ”感情のミス” というか、言い換えれば破綻した感情のようなものに、言い知れないほどの人間味を感じてしまう。…そこが私の思うパク・チャヌク監督の魅力のような気がするんだよね。

こんな悪事は受け入れ難いと初めは突っぱねていた反動からか、ふいに露呈する人間味に共感した時は、より一層の没入感を味わえる、という仕掛けなのかもしれない。人は一度共感して心を許してしまうと、見たいものを見たいように解釈する生き物だから。

ちなみに、エログロを効果的に使う印象のあるパク・チャヌク監督だけど、それを封印している作品もあって。それは2022年の映画「別れる決心」。こちらもなかなか深い内容で色々考えさせられて面白かったので、時間があったらぜひ見て欲しい~。

momoruru

女中頭の佐々木を演じたキム・ヘスク、和服姿が似合いすぎる!

  • URLをコピーしました!
目次