今日は少し前に見た映画の感想を。今日たまたま「亡き王女のためのパヴァーヌ」の演奏をホールで聞いてきたんだけど(ホルン&ピアノバージョン)、ああこの映画の曲だったなあって思い出してた。
作品情報
- 邦題:パヴァーヌ
- 原題:파반느
- 英題:Pavane
- 公開:2026年
- 上映時間:113分
- 日本国内配信:Netflix(2026.3現在)
予告編
あらすじ
評価(momoruruが勝手に採点♪)
momoruru総合評価 88点
光と闇の演出が美しい映画。
コ・アソンとピョン・ヨハンという演技派の中に入っても、ムン・サンミンが期待値以上の演技で魅せてくれます!
感想
深い暗闇から眩しい光の世界へ
原作はパク・ミンギュの小説「亡き王女のためのパヴァーヌ」。抒情的なこの小説を、「サムジンカンパニー1995」のイ・ジョンピル監督が、幻想的な演出で映画化。
登場人物は、外見にも環境にも恵まれず心を閉ざして生きる女性ミジョン、父に捨てられたトラウマから虚無感を消せない青年ギョンロク、複雑な生い立ちから自分を偽って生きる遊び人風の男ヨハン。
ユートピアデパートの暗い暗い地下で働く3人が出会い、そしてそれぞれが相手を照らす光になって、闇を抜け出して光の中へと歩していく人生と愛の物語。
まず感じるのは、光と闇を使った演出がとても印象的だってこと。
ギョンロクの仕事場はデパートの地下駐車場。スケボーで駐車場をどんどん下りていくシーンでは一体地下何階まであるの?と思うくらい深い。
同じ地下でも明かりが付いてるギョンロクはまだいいけど、ミギョンが働く地下倉庫は更に暗い。ただでさえ窓のない地下にあるのに、あろうことか、部屋の明かりは動かないとすぐに消えてしまうセンサーライトだけ。動いていないとすぐに電気が消えて、真っ暗な闇の世界に…。
そんな彼らの生活とは対照的に、ギョンロクがミギョンを地下から連れ出そうとするシーンでは、開かれた扉の外から強い光が差し込んできて、目が眩むほど綺麗だった。
若干のハルキズムを感じつつ…
この映画は村上春樹の描く世界にもちょっと似ている気がした。私が村上春樹をたくさん読んでいたからそう思うわけじゃなくて、多分そう感じる方もまあまあいるんじゃないかと思う。偶然だとは思うけど、村上春樹の短編小説にも「今は亡き王女のために」という作品もあったりするし(この映画のストーリーとは関係ありません)。
私がそう思った理由は、この映画で描かれる世界は、社会の枠組みに完全に同化していない人たちが主人公で、それ以外は背景という、うっすらとした線引きがあること。更にいうと、既定の概念に違和感を感じたり、言いようのない喪失感を向き合おうとする人間と、日常に忙殺されてそれに気付かない(もしくは気付かないフリをする)人間に分かれている世界というのかな。
そして主人公側の人間は、喪失感が生き方に支障を及ぼすほどに重く、愛が永遠には続かないことに対して過敏であり、そのバランスを取るために心の余白を持とうとする人たち。
この余白の部分こそが、ギョンロクとミジョンが近づいた最大の理由なんじゃないかなと思ったよ。
momoruruこの続きはネタバレありますのでご注意を~
なんとなく村上春樹っぽい雰囲気だってことについて、ついでに言うと…
地位も名声も巧みな話術もない、ただの駐車場アルバイトのギョンロクが、デパート社員のお姉さんたちにモテモテなのに見向きもしないのはやや村上春樹的男性主人公像だったりするし、そしてそんな美しいお姉さんとちょっとだけ付き合ったりしちゃう(もしくはワンナイト?)のも村上春樹的かも…。
ただ村上作品の傾向と違うのは、ギョンロクが料理をしないことと、孤高の存在ではなく素直で純朴な好青年だってことw
そしてこの純朴青年ギョンロクを演じているムン・サンミンの表情演技がとってもピュアで可愛らしい!
正直、演技派のコ・アソン(33歳)やピョン・ヨハン(39歳)と並ぶと、ここでムン・サンミン(25歳)は演技的にも経験値的にもどうなんでしょう?と思って見始めたけど、意外にも彼の未成熟のいたいけな瞳にやられちゃった~。
今までは王子とか財閥とか派手な役が多かった印象あるけど、今回はそんなイメージを刷新し、繊細でパッとしない青年役でも十分に輝ける実力があることを証明!(童貞のまま死ぬのかなって言ってた時はさすがに「んなわけ」と思ったけどまさかの…)。
演技派というより自然派?な演技をする印象があるんだけど、むしろ今回の純朴青年の役にはその演技が合っていたし、映画デビューにふさわしい役だった気がする。今回のギョンロク役は以前はチョ・ヒョンチョルがキャスティングされてたんだけど(…それはそれで深そう?)、その後は配役が決まらずにいたところを、ムン・サンミンの方からアピールしたらしく、本人がやりたかったのも頷けるよね。
この映画のために体重をかなり増やしたという演技派コ・アソンは言うまでもなく期待を裏切らない安定感あったし、もう1人の主演ピョン・ヨハンは演技もその役もかなり好きだった(てゆうかピョン・ヨハンが少女時代のティファニーと結婚したって知ってた!?びっくりなんですけど~)
ヨハンは奔放なようで陰鬱、という難しい人物設定だったけど、演技の力加減が絶妙だしこの人の表情演技は切ない~。なーんにも分かっていないようでいて実は一歩先まで分かろうとしてるヨハンが、いつも悲しくてなかなか素敵だった。
インディアンの逸話
この映画が言いたかったことは何だったのか、改めて考えてみると…
人からどう見えるかは、その人の本質とは関係ない、というルッキズムへの抵抗であり、そしてまた、その人間の本質というものは共有が難しく、しかし全てを理解するのが不可能だとしても、理解しようとしてくれる誰かが自分の傍にいてくれるだけで人生は輝き出す、ということなのかも。
愛を信じられない環境で育った3人の主人公たちが、やがて輝ける存在に成長していくという内容はとても好きだった。忙しい現代社会の中にあっても、立ち止まる時間も大切に、誰かの人生を輝かせる人に私もなりたいものだ、と思った作品でした。
最後にちょっとだけ。
ミジョンが語っていたインディアンの逸話がとっても印象的だったんだけど(馬に乗って長い旅をするインディアンは時々馬を降りて後ろを振り返る。歩いて移動している自分の魂を待つために…という話)、これって恐らくは1989年にミヒャエル・エンデが朝日新聞に寄稿した記事の中で紹介されているものと、同じルーツを持つ逸話なんじゃないかと思うんだ。
その新聞記事で紹介されているのは、中南米で発掘調査をしたグループの調査報告書。
研究チームは荷物を運ぶためにインディアンを雇っており、彼らはよく働いて調査は予定通り進んでいたのに、ある日、彼らは全員で円陣を組んだまま全く動かなくなってしまう。研究チームの人たちは色々な方法で説得したり武器で脅したりしたがことごく失敗。諦めていたところ、その2日後に彼らは全員で突然動き出し、結果、調査は無事に終わった。ずっと後になって、インディアンの一人がその理由を話してくれたのだが、それは「はじめの歩みが速すぎた。魂があとから追いつくのを待たなければならなかった」といういうことだったと。
この記事よりもっとずっと前に、アフリカでの調査隊の荷物持ちについて語られた同じような逸話が残っているそうなので、これがインディアンの話なのかどうかは確証がないけれど、多分同じルーツの話なのではないかと。
ミヒャエル・エンデの代表作「モモ」も同様に、時間とは?豊かさとは?というテーマで書かれた本なので、現代の忙しい生き方に付いて見直すきっかけになる本だよね。
さてさて、OSTではありませんが、映画のタイトルにもなっている曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を韓国人ピアニスト、チョ・ソンジンの演奏で紹介して締めくくりたいと思います。
momoruru存在感を消して生きるために仕事を続けてきた女性会社員が、ある日突然、年下のイケメン短期アルバイトに言い寄られても、別れた後のリスクがでかすぎる…冴えない女性が年下イケメンと付き合うのってラッキーであると同時にアンラッキーでもある可能性…?!などと、しょーもないことが頭をよぎったのは内緒です。






